「夏の朝の成層圏」 池澤夏樹 感想
- 17 6月, 2013
<『夏の朝の成層圏』 池澤夏樹>
これほど鮮明に作品の情景が頭に浮かんだのは初めてです。なんという緻密で深い描写なんだろうか。これが小説デビュー作だというから恐れ入ります。
時期は戦後少し経った頃でしょうか。航海中の船から不注意にも転落してしまった”彼”が、大海原に浮かぶ小さな孤島に流れ着くところから物語は始まります。生きることだけが唯一の目的となる生活を強いられた”彼”は、持てる知識と精神力を駆使して生き長らえます。かつて人が存在したことを確信させる様々な証拠から、別の島にそれを確かめに行った結果、そこには家と生活の糧が存在したのです。。。。
こういう展開ですと、ロビンソン・クルーソーや十五少年漂流記などのように、冒険色の強い作品が思い出されますが、この作品で一番印象的だったのは、大自然を前にした現代人の本当の姿と感情、そして人は決して文明を離れることは出来ないのだということでした。「生きるために食べる」「全ての行動は食べるため」。そんなシンプルなことを実現し続けることがいかに困難か。それを前にして現代人はどれだけ文明人としての考え、感覚、感情といったものを持ち続けられるのか。そしてどれだけ変わったと思っても、文明という器の中からは出られていないことを、”彼”を通じて実感しました。
あまりにも爽やかに、とても清々しく、濃厚な表現で物語がつづられているので、南の島の空気や匂いを感じられるような気がしました。「まるで自分がそこに居るような感覚」とはこういう作品がぴったり当てはまります。筆者が本作品の発表前に、翻訳やエッセイを作るなかで培われたものが十分に生かされているのでしょうか。
他の作品でも南国を舞台にするなど、自然と人をベースにした物語があるようです。ですがそれらを堪能する前に、まずはこのデビュー作で池澤作品デビューを果たすのが良いでしょう。
経歴も面白く、ご家族にも才能ある方がいらっしゃるので、人間的にも大変興味がある作家さんです。