「星に降る雪/修道院」 池澤夏樹 感想
- 26 6月, 2013
<『星に降る雪/修道院』 池澤夏樹>
2008年に発表された池澤夏樹の作品で、タイトルの通り2つの物語があります。どちらも作者らしさが楽しめるとても良いストーリーです。
『星に降る雪』
高地の観測所で働く青年と彼を訪ねてきた旧知の女性とが、”過去に起きた悲劇”に自分たちなりのケジメをつけるべく、お互いにその出来事を振り返ります。
女性というのはやはり現実的ですね。”あの出来事”を受け入れ、前を向いて自分の足で進んでいくつもりなのでしょう。直ぐには出来なくてもいつか心に整理がつくときがくるのだと思います。彼女の方から体を合わせることを提案したのも、彼女のなりの踏ん切りをつけるためだったのでしょう。やはり男と女っていうのは脳みその作りが違うんですよ。いざというときその大胆な決断力に色々と助けられながら、時に驚くことも多いです。
男のほうはこれまた池澤夏樹らしいw受け止め方をします。”あの時”自分に伝えられた”メッセージ”とは何だったのか?それを確かめたいと思っているかは分かりませんが、きっと追い求めていくのだと思います。「ニュートリノ」、何でも通り抜けるものがあるんですねぇ。
二十年、三十年と生きていると、ふと「あれは一体何のことだったのか・・・」と思い返したくなるようなことが1つや2つありますよね?天の声?虫の知らせ?うまく言い表せませんが、どこか不思議で奇妙なことを、あのとき真面目に向き合っていたらどうだったか・・・今となってはわかりません。
作中の男性はいつか答えが見つかるかもしれないし、見つからないかもしれませんが、彼にとって最良の向き合い方で心の終着点が見つかるといいなと願うばかりです。
『修道院』
ギリシャのクレタ島を旅行している男が、田舎の旧い修道院で怪我をしてしまいます。宿屋の老婆に世話をしてもらいながら、興味を惹かれたその修道院にまつわる50年前のお話を聞きます。
老婆の回想は決してハッピーエンドじゃない心の奥底にしまっておきたい話だったことは、容易に想像することができました。重い罪を背負った人間はどこまで贖罪を続けても、罪からは逃れられないのでしょうか。それは逃れるものではなく、生涯背負い続けて生きていくべきことなのでしょうか。救いを求める心は逃げなのか、向き合うことなのか?こんな答えは神様しか分かりません。
相変わらず作者の表現力は素晴らしく、ギリシャの片田舎を実際に見て、感じた人にしか描けないシーンです。この情景のなかで自分も一緒に回想を聞きながら、緩やかな時間を過ごしているような気分になります。どこか遠く、どこか懐かしさと寂しさを感じるような文章です。
2つの物語では「修道院」の方が好きです。50年経って男から”その後”の一部を伝えられ、老婆が過去にケジメをつけようとしたこなど、物語としての結末も大変清々しいです。「マスターキートン」という名作マンガがありますが、これが好きな人は間違いなく共感いただけると思います。
願わくは老婆には健やかに余生を過ごしていってもらいたいです。